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てくてく旅行記

醒ヶ井を行く(4)水琴窟は娘の涙

タイトル 水琴窟

それにしても辛く、悲しい恋である。
相手は再び会えるかどうかわからぬ旅の僧である。
結婚など到底かなわぬ人である。
ひそかに恋するというだけではなく、娘は、残されたお茶に口をつけて飲んでしまう。
心の中だけでする恋ではなく、思わず行動に出てしまう体でする恋と言えよう。
そして、体の中に入り込んだお茶はどこに行き、娘の体にどのような作用を与えたか。
西行は去り、娘の恋が残されたが、思いは日々に積り重なり、日を経て、形をなして《西行の子》が生まれた。
醒ヶ井を再び訪れた西行がこの話を聞いた。
うろたえず、驚かず、西行は《わが子なら泡と消えよ》と言った。
「情を交わしていないのでそのような子ができるわけはない」とも言わず、又、「わが子なら顔を見よう」とも言わない。
よく言えば、いかにも決断力にあふれた、悪く言えば情のかけらもない、ものの言い様である。
西行の性格の一面がよく出ている話ではないか。
武士としての西行の言い切りとそれで奈落の底に落とされた哀れな娘の話、この取り合わせの妙が、現在まで伝説として伝えられてきた理由ではなかろうか。
想像妊娠と言うようなものがあるらしいが、ひょっとすると娘はそれであったかもしれず、妊娠中に戻ってきた西行の一喝で想像が吹っ飛んだのであるかもしれない。
いずれにせよ、この話は世間に広く流布され、泡子伝説に仕立て上げられたのかもしれない。

醒ヶ井風景 おばあさん

中山道の西行水の付近を行く婦人

この西行水のある場所には泡子地蔵が祭られている。
泡子を哀れと思い、その霊を供養するために地蔵が作られた。
しかし、それにしても流れた泡子はどこに行ったのか。
流れ去ったのか、あるいは娘が急いで流れからその泡をすくいとり、器にとり、かつ保存しているようなことはなかったのか。
ひょっとすると、その器は当初は土瓶であったものが、その後、瀬戸物の土瓶になり、その後、鉄器、そして現在はアルミの茶瓶として受け継がれ、今も流れの中に置かれているのではなかろうか。

西行水 やかん

泡子が入っているかもしれない(?)やかん

最後に一つの話を付け加えておこう。
泡子も哀れであるが、私はその茶屋の娘が可哀想でしょうがない。
西行水のある場所になぜか、水琴窟がある。

水琴窟

手前が水琴窟 柄杓で水をかけている

地中に壺が埋められており、水を落とすと琴のような音が聞こえてくる仕掛けである。
地蔵川の水をくみ、この水琴窟にふりかけ、耳を澄ましてみると、かすかにピン、ピンという音がする。
これは、なんと茶屋の娘の涙ではないか。
娘を哀れに思った人がその供養のために造ったものであるに違いない。

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