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つれづれに万葉

こんな高いところに大伴皇女の墓があるのは ~つれづれに万葉(割込編)忍坂の古道を歩く⑨

舒明天皇の墓より上に、鏡王女の墓があるが、その横に大伴皇女の墓への案内板があった。
《この先 約120m上にあります》と記載されていた。
私は、万葉集の初心者であり、大伴皇女がどのような人物か、また、どのような歌を詠んだかも知らない。
ただ、せっかく来たのだからと山の斜面を上って行った。
なぜ、このような高みに墓を作ったのだろうかと考えながら。
しばらく歩いて、階段を上がったところに墓があった。
鉄の門があり、鳥居があるだけの簡素なものであった。
太陽が沈みかけてきたので、墓の写真を1枚だけ撮って、階段を下りて行こうとした。
その時、はるか西の方に、小さくではあるが、二上山が見え、その左に葛城の山並みも見えた。
舒明天皇よりも、鏡王女より高みに作られたのは、これらの山並みと関係があるのだろうか。大伴皇女が二上山や葛城の山とどのような関わり合いを持っているのか、今はわからない。
私の心の中にこの皇女と2つの山がしっかりと腰を据えたことは間違いない。
将来、彼女の歌を見たとき、その関係がわかるかもしれないし、わからないかもしれない。それでも、いつか解決するかもしれない疑問を蓄えこむ、それは楽しいことだ。

皇女の墓
夕暮れの大伴皇女の墓
細長く伸びた枠の先に階段があり
底を上がれば墓に行きつく。

墓から見える山々
階段をおりるとき見えた二上山、葛城山
はるか遠く、中央にあるはるか遠くの二上山、
その左手が葛城の山並み

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